子どもの「視座」に立つ


何故イライラするのだろう?


育児をしていると、子どもの年齢にかかわらず 「イライラ」 はつきものです。せっかくの休みの日に子どもと一緒に過ごしていても、イライラする場面も少なくないでしょう。

どうして言うことを聞いてくれないんだろう。どうしてパパの気持ちをわかってくれないんだろう。どうして、どうして……。思い通りにならないことだらけ。

そんな時、思い出して頂きたい言葉があります。それは「子どもの 『視座に立つ』」 という言葉です。

「視座」とはなに?


「視座に立つ」と「子どものことを理解する」とは少しニュアンスが違います。

「視座」とは、立場の違う者 (例:上司と部下、親と子ども) が相手の「立場、目線になって物事を捉える」という意味合いが強い表現です

お子さんが小さい時は、一見わがままで意味のない「だだこね」、少し大きくなったら「教育方針やしつけや学校生活についての意見や見解の違い」、もっと大きくなって年齢が上がっても 「どうしてこんな事で衝突するのだろう……」と親として頭を悩ませてしまうことだらけ。それが育児の実態です。

今、旬な話題で例を挙げると 「スマホの使い方について」 の親子トラブルは日常茶飯事。いわゆる 「ITリテラシー問題」で、20~30年前には存在すらしなかった悩みです。

これらの悩みの原因は「親と子ども」という立場の違いから、置かれている状況や、物事の捉え方、考え方、経験値や生きてきた時代背景の違いからくるものがほとんどではないでしょうか?

子どもの頃を思い出して……


しかし少し考えてみてください。

現在、「大人」として生きている人は、一人残らず子どもだった時代が存在しました。

意味もなく、だだをこねたり甘えたい気分の時があった。(親の膝に座る)
親の目を盗んで友達といたずらした。(親の目を盗んでやるからこそスリルがあった)
いけないとわかっていても宿題をやらずに漫画を読んでいた、夜更かしした。(実はバレバレだった)
そんな経験、男性ならそして今育児真最中のパパなら必ずあったはず。(もちろん、ママにもあったはず)

その時の気持ちを再現できますか?

実は子どもがとる行動の全てに「意味」があるわけではありません。「なんとなくそんな気分」。

この 「なんとなく」 が実は子どもの成長過程ではとても大切で、一見わがままに見える言動に対して無条件に自分を受け入れてくれる存在、それがパパであり、ママなのです。

ちょっと無茶言っても、だだをこねても、反抗的になっても、パパが 「そんな気分の時もあるよな」、「自分にもそんな時期があったなぁ」と広い心で受け止めることができたら、親としてそんな素敵なことはありません。

自分が子どもだった時の事を少しの間でもいいから振り返り、再び子どもに戻ったつもりで、彼らの気持ちや立場を疑似体験する。これが「視座に立つ」ということなのです。実はビジネスシーンにおいても応用できる考え方です。

ファミコンやゲームの普及、携帯電話の出現。 パパのご両親も、新しい文明に子どもが触れる度にきっと戸惑っていたことでしょう。反抗期や理由のない不機嫌さに、やれやれ……と付き合ってくれていたことでしょう。

自分が子ども時代だった頃の気持ちを忘れずに育児に向き合うスキルを身につけると、だいぶ気持ちが楽になりもっと育児を楽しめるようになります。何故なら、誰もが昔は子どもだったのですから……!

「子どもの気持ち」は一人残らず全ての大人が過去に経験済みなのです。


この記事の著者

エメラルド

エメラルド

都内在住40代の働くママ。ただし2人の息子の育児を最優先すべく、自営で時間をやりくりしながら充実しまくった育児生活を満喫中。「人間を育てるには年月がかかる。短期的プランでは無理」と心から思っており、幼児教育や人材育成、また海外経験を生かしたグローバル教育をライフワークとする。息子達はバイリンガル。

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